今日から洋服もブログもSNSも全部ひっくるめて「ファッション」て事にしたらダメですか?

あけましておめでとうございます。

ヨツモトです。

2018年も僕はファッション業界で仕事をする事になります。
なんやかんやと、この業界で仕事をし始めて20年近くなりますねー。
(販売の仕事は30年以上だけども。笑)

そういった意味で今の僕があるのはファッション業界のおかげです。

ありがと!ファッション業界!!
ありがと!アパレル産業!!
ビバ!!カッコつけ自分!!!笑

僕はこの業界が憎たらしくもあり、愛しています。

「ファッション」という非常にファジーで曖昧な言葉を愛しているのです。

「ファッション」って、とてもいい加減な言葉で

「ファッショナブル」とか「ファッション業界人」なんていう「いけてる感じを表す」言葉でもあり、
「ファッションサーファー」とか「ふぁっそん野郎」などと「カッコだけの薄ペッライ感じを表す」言葉であったり
とても曖昧な使われ方をして、「良くも悪くもとりあえずファッションだからさ」なんて一言に落ちついてしまう。

なんだそれ!!!
そもそも「ファッション」って何やねん!!!

って事で今年も、そして恐らくまだ暫くはファッション業界にお世話になりながら生きていく者として
僕自身の「ファッション」の考え方を伝えるのを新年1発目にしてーなと思います。

「ファッション」=「見えない価値を見えるようにする」ツールの1つ。

「ファッションと聞いて一番最初に思いつくのは?」

と質問すれば一番最初に思い浮かぶのが「洋服」じゃないですか?
9割の人が「洋服」って答えるでしょう。
「ファッション=洋服(服装)」ってのは切っても切れない関係性です。

そもそも洋服ってやつは「ヨーロッパの服」。
今僕たちが着ていて目にする服の9割は「洋服」つまり「ヨーロッパの服=西洋の服」です。
(アメリカの服だって元々は西洋だしね。)

残念ながら僕たち日本の「服文化」である「着物」はほとんどが姿を消しました。
特別な時に着る服。
日本独自の伝統的な催しや祭りの際に着る「服」の役割に収まっています。

ですので、僕たちがいう「ファッション」の定義はこの「西洋スタイルの服」が中心になっています。

元々、西洋で育まれて着た「服文化」。
ただ単に「寒さをしのぎ暑さを和らげ、自分たちの身を守る」為に着衣する物から
「自らの身を飾る物」へと役割が変化していった理由は「階級社会」から来るものです。

詳しくはwiki先生にお任せします。→「西欧の服飾」

これを読んでもらえば分かると思いますが洋服はその人の「階級」や「身分」。

つまり「その人自身の肩書きを可視化するツール」であったわけです。
いくら貴族に生まれ落ちたとしても生まれた時は「裸」です。
貴族であれ平民であれ、みな「裸」で生まれます。
生まれたての「裸」で並んでいる赤ん坊を見て「貴族」「平民」なんてわかりませんよね。

それは極端にいえば「大人」になっても同じはずです。

いくら高い階級であっても低い階級であっても。
いくら富を持っていても持っていなくても。
裸にして丸坊主にして2人に並んでもらえば「肩書き」は見えません。

分かるのはそこに「裸の人」が2人いる。
あと分かるのは「痩せている」や「背が高い」などの身体的な特徴しかわからない訳です。

それを「見えるように=可視化」する必要があった。
誰もが「貴族」と「平民」を一目見て「理解」できるようにする為のツールが「洋服」であったんですよね。

え?
そんな今は階級社会なんてもんは無くなっているし、そもそも日本人には関係ないだろって?

確かに。
こんな事を意識して「洋服」を着ている人なんて今はいないでしょう。
でも、そもそも「ファッション」の中心である「洋服」がなぜここまで大きな産業として成り立ち
「住むとこ」「食べる物」と合わせて「衣食住」と言われるのか?

それは「ファッション=洋服は自分の価値を可視化する為のツール」だからだと僕は思っているからです。

ファッションは着る人だけでなく「作る人」の見えない価値も可視化した。

中世ヨーロッパにおいて一番「価値」があったものこそ「階級」だったんじゃないでしょうか。
「階級」という「価値」さえあれば富が手に入り、美味しい物が食べられ、安定した生活を手に入れる事ができる。

自分が持っている目に見えない価値が階級であった訳ですよ

だからその価値を可視化させる為に必要だったのが「洋服=ファッション」だった。

「私は貴族なんざます」という価値をまざまざと見えるようにしていく。
その貴族グループの中でもまた階級や個性があり、他の貴族達と「価値の差別化」を
する為に様々な「ファッション」が生まれていく訳ですね。

こうした「自分の持っている価値を見えるようにする為にファッションをツールとする事」は
何も「着る人達」だけの見えない価値を可視化するだけではなく「服を作る人たち=ファッションデザイナー」
という人たちの「クリエイティブな感性」を可視化する事にもなります。

いや、デザイナーだけでなく生地を作る人や縫製をする人たちのクリエイティブさ。
価値が見えなかった人達の「価値」を見えるようにしていった。
「洋服=ファッション」というツールを誕生させた事によって「多くの人たちの価値を可視化」できる事になった
からこそ、ここまでファッション業界が大きくなっていった「理由」なんだと思うわけです。

今に生きるあなたの「価値」とはなんだ?

では、話を現代に戻しましょう。
今まで話した事が現代の今にそのまま当てはるとは思いません。
特にこの日本では「階級」を意識することは少ないでしょう。

でもなぜ未だに、日本の国民全員が365日毎日違う服を着ても余る数の洋服が
この日本で売られているんでしょうか?
生きる為により必要な医療施設などの何倍もの「洋服店」があるんでしょうか?

この質問に対する答えはいくつも出てくると思います。

でも、多くの人の心の根本に「自分の目に見えない価値を見えるようにしたい」

そんな欲求が無意識の奥底にまだまだあるからこそ「必要」とされるんじゃないでしょうか?
この質問の答えがこれだけが正解だとは言いません。

でも、僕のファッションへの答えは「あなたの見えない価値を可視化する」

これが僕が今後ファッション業界で仕事をしていく上でのキーワードなんです。

価値を可視化するSNSやブログだってファッションって言ったらダメですか?

僕はこのブログもファッションだと思っています。
言葉を投稿するTwitterもファッションだと思っています。
日常を投稿するFACEBOOKだってファッションだと思ってるし、
目に見えた物を画像にして投稿するインスタだってファッションだ。

これもあれもどれも全部「見えない価値を可視化する為のツール=ファッション」なんだって。

僕たちは何もしなければ「どれも同じ」にしか見えない。

でも、実際はどれも同じに見えるのは生まれ落ちてからの数日しかない訳で
そこからまず育てられる人達に「この子はこんな子だ(になってほしい)という愛情」で
服を着せられ写真を撮られ言葉を与えられ「価値を見えるように」されていく。

一昔前までは「服を着せる」事ぐらいしか可視化する方法がなかった世の中に
ネットという新しい現実社会が生まれ、より可視化する事が可能になった今だからこそ

ファッションってのはあなたの見えない価値を可視化する為の物だよ。
そして、その可視化された価値によってあなたの人生や将来をより良く、大きく変化させる事ができるんだよ。

って僕は今から伝えていこうと思うんです。

洋服って「物」を使いながら、ネットという場所を使いながら。
洋服って「ツール」を使いながら、webの中にある「ツール」を使いながら。

セールス&マーケティングのご相談はこちらから↓

2 Comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です