長い人生の中で今も時折思い出してしまう一番「恥ずかしかった」記憶の話。

こんにちは、ヨツモト です。

人間は生きている間の記憶の大半を、その人生が終わるまでに忘れてしまう生き物ですよね。
できれば、楽しかった思い出や、嬉しかった思い出。
幸せだなーと思える思い出ばかりを記憶に留めて人生を送りたいものですが、意外としっかりと記憶に残っているのは嫌だった思い出や腹が立った思い出、それに恥ずかしかった思い出の方が残ってたりしませんか?

僕も実はその口で、特に幼少期の頃で記憶にしっかり残っているのは「恥ずかしかった記憶」だったりします。
もちろん、今まで生きてきた中で嬉しかった思い出も残ってますが、なぜこの「恥ずかしかった記憶」がいつまでも忘れられないのです。

そんな訳で(どんな訳だ)年末ってこともあって、今までの送ってきた人生の記憶の中で強烈に残っている「恥ずかしかった記憶」を今日は綴ってみようと思う。

完全に自己完結型な記事なんで読んでくれとは言えませんが、他人の恥部を覗き見したいもの好きな人はどうぞお読みください。

休日はいつも「ジャラ銭」をぶら下げていた特殊な環境で育った幼少期。

「ジャラ銭」ってご存知ですか?
最近はあまり聞かなくなった言葉で、言葉通り「ジャラジャラする多数の小銭こと」なんですが、商売人のご家庭に育った人ならそれが「釣り銭」をさすことをご存知かもしれません。

そうです。
僕は10歳の頃から休日になると、腰にジャラ銭をぶら下げていました。
それも「路上」で。

釣り銭をいれたウエストポーチを腰にぶら下げ、神戸の三ノ宮という繁華街の「路上」で休日を過ごすのがルーティーンな小学生時代。
学校がある期間は土日。長期の休みになれば、その大半を路上でジャラ銭をぶら下げていました。
いやいや、ジャラ銭ぶら下げて何してんねん!?て話ですよね。

僕は10歳からジャラ銭ぶら下げて、路上でワゴンに敷き詰められた中古のファミコンのカセットを売ってたのです。

でも、これ自体を恥と思ったことは無いんですよ。
むしろその時代の小学生達の「ファミカセを無限に所有したい」というサンタクロースでも叶えることが不可能な夢を擬似的であれ体感していたのですから、どちらかと言えば多少の優越感があったぐらいです。

ああ、そもそも何故そんなところで中古のファミカセを売っていたかの話を忘れていましたね。
別に捨てられて身寄りがなく働いていたとか、強制労働的な感じとか、貧しくて働いていたとかではなく、単純に家庭環境が少し特殊だったんですよね。

両親は健在でしたが、母方の姉夫婦が三ノ宮という街の路上での商売を仕切っていたんですよ。
ちなみに違法ではなく合法での商売です。
まだ、その頃はゆるい時代だったので(詳しい事情はわからないところもありますが)ちゃんと許可をとって三ノ宮の路上での商売をする権利を有してたのです。

まあ、今思えば結構グレーな感じもしないでも無いですが。
(ちなみに、その権利は阪神大震災後に区画整備と共に消滅しましたので今はありません)

大人達相手に売れることが楽しくて仕方なかった後に起こった事件

そんなちょっと特殊な環境で幼少期を過ごした僕は、路上で良くわからないアクセを売ったり、レイバンっぽいサングラスを売ったり、一瞬ロレックスかと見間違えてしまいそうな時計を大人達がバカスカ売っていて、それを楽しそうに買っていく大人達を見て育ってきたので、それが普通だと思っていたんですよね。

なので、自分がある程度の歳になった時に「お前の場所ここな。ファミカセ仕入れてきてやったから」と指を刺された地面を見ても、少しも疑問を持つこともなく「他の大人たちよりも良い場所もらえてラッキー!」ぐらいにしか思わなかったわけです。(これ自体今思えばトチ狂った小学生ですよね)

で、翌週の週末からワゴンに敷き詰められた中古のファミカセとワゴンの下にある在庫のファミカセと共に僕のジャラ銭人生がスタートする訳です。

ジャラ銭人生がスタートしてからは、、、それは楽しくて楽しくてしょうがない時間でした。
子供だけでなく、大人にも人気だったファミコンのカセットが中古で安く変えるのです。
まだ中古販売が一般的でなかったので、値段の優位性もあり経済力のある大人達に黙っていても売れる売れる。

でも、ここで壁にあったのでが「売れ筋のファミカセ」が無くなってきた時。
在庫の補充はあったのですが、人気のカセットはなかなか入荷しない。
黙って売れていたのもつかの間。

ファミカセは無数にあるけど、買いに来る大人達からすれば、その大半はプレイしたこともなくどんな内容のゲームかもわからないので、買うに買えない訳です。(ジャケ買いするにも限界がある)
そこで、店が閉まってから自宅で訳のわからない無数のファミカセを自分でプレイして内容を確かめ、ふらっと寄ってくれる大人達に「今までどんなゲームが面白かったですか?」と先制攻撃をしていき、だったらこれがおすすめだよ!と小学生のキラキラした感じと、小学生だからゲームばっかしてるであろうという思い込みを巧みに利用し、今まで全く売れなかったタイトルのファミカセを「自分の言葉」で売るスキルを身につけ出した訳です。

このスキルが身についてからは、売れ筋を売らずに、他のファミカセの良さをわかって買ってもらい在庫を綺麗にしていく楽しさを覚えた小学生はメキメキと売上を作ることに成功していく訳ですね。

ええ、とても楽しかったです。

そうです、とてもジャラ銭をぶら下げる休日は楽しかったのですよ。
でも、そんな楽しい記憶のはずなのに一番最初に思い浮かんでくるのは、その中での恥ずかしかった記憶なのが人って不思議なところですよね。

正月に現れた同級生家族

順調にジャラ銭人生を謳歌していた僕に、ダメージを与えたのは小学生の同級生でした。
忘れもしない正月三ヶ日。

僕がファミカセを売っていた場所は、阪急三宮駅から生田神社へと続くゴールデンロードだったんです。
正月ともなれば参拝目当ての人でごった返す道。

いつも以上に張り切ってファミカセ売っていた僕の前に現れた同級生とその家族。
僕を見つけ同級生が放った

「お前、こんなところで何してるん?寒く無いん?」という一言と、それを「よしなさい」とでも言いたげな少し迷惑そうな顔をしたそのご両親。

その瞬間、今まで楽しくジャラ銭をぶら下げていたのが急に「恥ずかしく」なった。

その時は、なぜ急に恥ずかしくなったのかが理解できなかったのですが、今でもそのシーンは記憶にしっかりと焼き付いていて時折思いだす。

思い出すたびになぜ恥ずかしかったんだろう?と考えていると多分、ジャラ銭をぶら下げていたことや、路上にいたことや、中古のファミカセを売っていたことが恥ずかしかった訳ではなく

普通だと思っていた自分に他人から「お前普通じゃ無いよ」と言われた気がして、そんな自分が急に恥ずかしくなったんじゃないかと思います。

自分が楽しければいいじゃないか。と今になれば思うのですが、その時は「お前はおかしい」と言われて、それを跳ね返す自分じゃなかったんでしょう。
そんな自分自身の姿も「恥ずかしかった」記憶として残っているので、余計にしっかりと記憶に残っているんじゃないかと思う訳です。

「恥ずかしい」感情は誰かへの感情だから気にすることはないって話をしたかった

多分、他にも今まで散々恥ずかしいことや、後悔することはあったのに、このシーンが一番最初に思い出されるのが正直嫌だった時期もありました。
でも、今は他人とは違うことで飯を食えていて、あの時楽しかったことで飯をくっている。

他人と違うことは何も恥ずかしくも無いし、楽しいことを楽しいと胸を張って生きていけばいい。

いま、もし自分のしていることが他人から見て「恥ずかしいこと」かもしれないと思っている人が、何も気にせず自分に正直になって生きていくのが正解で、そんな自分を褒めてあげることが一番大切なのですよと言いたい。

僕も、あの頃の僕にそう言いながら今の自分になれたので。

そんな10歳からジャラ銭ぶら下げて商売人スタートさせた僕が今年なんと、世の中に本を出させて頂きました。
今日の記事とは全く別の内容だけど、セールスの本質は10歳のころから今日までもまったく同じだと思ってます。
そんな本質を今風に落とし込んだらこんな感じになりました。

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